張明澄記念館 「張明澄 風水の世界」 を読む その7

「奇門風水」は特殊ではないという話。

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「奇門風水」について、特殊であるとか、主流派ではないとか、なかには異端扱いする人までいるようですが、もちろん正しい考え方とはいえません。 例えば、「玄空飛星派」の風水は、蒋大鴻(1616年−1714年)が大成者とされますが、蒋大鴻の『地理辨正』の中には、『青嚢經』、『青嚢序』、『青嚢奧語』、『天玉経』、『都天寶照経』の五書が入っており、その注釈本の中で『地理辨正折義』には、蒋大鴻の高名な弟子の姜堯章による注釈が入っています。 玄空学の祖とされる蒋大鴻は、如何なる風水理論を持っていたのでしょう。 『都天寶照経』中篇巻四 蒋大鴻 天有三奇地六儀,天有九星地九宮,十二地支天干十,幹屬陽兮支屬陰, 蒋大鴻 時師專論這般訣,誤盡閻浮世上人。陰陽動靜如明得,配合生生妙處尋。 姜堯章 蒋氏曰。前節贊嘆已足。終篇又此又引奇門以比論者。 沙午峰 首句言奇門。次句言元運。 姜堯章 蓋奇門主地;從洛書來,與地理大卦,同出一原,
つまり、蒋大鴻の「風水」は「奇門遁甲」をベースにしており、三奇六儀の天地と、九星・九宮を使うと言っています。つまり、「奇門遁甲」は、異端どころか、むしろ風水の主流であり、「玄空飛星」とは、「奇門遁甲」の一部を使って発展させたものと言えます。(山道帰一「レイモンド・ロー風水体系」参照)。日本では「本来の標準的な中国の奇門遁甲」では「九宮」は使わない、と主張した人がいるそうですが、『地理辨正折義』は読んでいなかったものと見えます。
さて、「奇門風水」が「風水」の本流だったことは充分に理解できたことかと思います。それにも関わらず、何故本来主流の「奇門風水」が少数派になったかと言えば、それだけ「奇門遁甲」が極秘とされ、容易には人の目に触れることがなかったことを証明しているともいえるでしょう。

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成るほど、「奇門風水」のほうが、風水の本流だったってこと?
奇門遁甲」では「九宮」は使わないと言ったのは、黒門だったよね。
随分とテキトーなことを言っていたんだな〜。