張明澄記念館「張明澄 風水の世界」を読む その15

ここんとこ、本当かな?

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宋の「理学」以前は、風水を観察する者にとって、「気」を読むこと、つまり経験則だけが頼りであり、「三式」などの理論も、もっぱら「記号類型」という経験則であり、「理」と言えるような根拠はありませんでした。

「理学」でいう「理」とは、「論理」というよりは「倫理」であり、「気」という、経験則による記述と「理」という規範の間で、黄渠学の「気即理」、朱子学の「性即理」、陽明学の「心即理」などの立場が生まれました。

現代でも、「風水」「占い」「超能力」などの信奉者が「非科学的」などといって軽蔑されることに耐えられず、「疑似科学」と言われるような分野に根拠を見出するように、当時の風水師たちが「理気」という言葉に惹かれたのも無理からぬことでしょう。

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もっと、観察と経験を磨けってか?

明澄透派の風水は、経験則で出来てるってこと?